■青い鳥の襟首を掴みながら

最近全く外に出ていない。

これではいけない、ただでさえもやしっ子の名を欲しいままにし、僕のせいで「肌色」の定義が揺れるほどの湯上りエッグマンこと僕が外に出ないとなるといよいよマズい、かのモーゼも十戒の中で「お外で遊びなさい」と言っている、ここ最近天気が安定しないのも太陽と北風のどちらが先に僕を家から出せるかを競っているからだと議会では一致している。

しかし外に出る理由がないのだ。

一体外に何があるというのか。外にあって、僕の家にないものがあるのなら、外にも出よう。しかし僕の家には全てがある、自由があるのだ。この中から出るというのは、すなわち自由を放棄するのと同じではないか。君は青い鳥という話を知っているかね? チルチルとミチルという二人の子供が幸せを探しに森に出た挙句、お菓子の家だとか夏子の酒だとかを散々飲んで千鳥足になり、もうこれ以上この地雷原を進めないよということで家に帰ると、その家に青い鳥、すなわち「幸せ」があったという話だ。これはまさに、幸せこそ家の中にあるということの証左に他ならない、単なる童話だと? 童話にこそ真実があるということが何でわからんのだ、寓意というものは人の中で噛み砕かれて始めて、ああもうわからんやつだな、埒があかん、呆れるだと、それはこっちの台詞だ! もう勘弁ならん、表に出やがれ!

2006年03月31日 22:37