エントロピーとは何か。
「エントロピーとは何か」という本がある。本、というのはやはりある程度のエンターテイメント性をもつべきだと思う。例え教本でも、それがどれだけ勉強になる本であっても、面白くなければ読む気が起こらないというのが人間だ。
そういう意味でこの「エントロピーとは何か」という本はどうだろう。一度開くとありとあらゆる方法でエントロピーが説明されている、天気の話も料理の話もエントロピーを説明する材料に過ぎない。料理の話題が出てきたので「今夜の献立はこれで決めよう」と思ったのに気づいたらいつの間にかエントロピーの話になっているのだ。猫も杓子もエントロピー。これでは全く面白くない。何より僕はエントロピーに全く興味が無いのだ。
しかし全く読んでいないわけではない、この本から学べること(主にエントロピーのこと)は多い。エントロピーとは何か、エントロピーとは「でたらめさの尺度」だ。この大真理が開いて数ページに書いてあったので読むのを止めた。後の方は全く読んでいないのでわからないが、おそらくこの部分を書くための下敷きか何かだろう。読み終わったのだからさっさと図書館に返せば良かろう、とあなた方は思うかもしれない、しかし、この本の持つ一番の疑問を忘れてはいないだろうか。本当に後の方はただの下敷きなのか、それがわからない内はこの本を返すことはできない。たった数ページを書くためにわざわざ二百ページもの下敷きを用意する必要が、本当にあるのだろうか?
その後も図書館に通い「エントロピーとは何か、の後の方は下敷きか何か?」を探したけれど一向に見つからずに途方に暮れた。借りてからすでに一年の月日が流れている。司書の人たちは「こいつエントロピーが何か理解するのにどんだけかかってんだ」と思っていることだろう。もしかするとエントロピーとは、僕が思っている以上に複雑怪奇なものなのかもしれない。あの未踏の二百ページはそれを説明しているのかもしれない。しかしだからといってあの本は面白くないし僕はエントロピーに興味ないしこれ以上読み進めることは出来ない。
何だか負けたようで嫌だが、このままでは次の本が借りられなくなるので今度「エントロピーとは何か」は返してしまおうと思う。しかしこれでは余りにも悔しい。僕は負けず嫌いなのだ。あの程度の本が理解できなかったなどプライドが許さないので、返す時さりげなく司書に「エントロピーって何ですか」と聞こう。
2006年08月31日 21:28