教習所のことを書く。
自動車教習所では自動車の乗り方を教習する場所だと聞かされて僕は毎日毎日通っているわけだけども、あの、みょうちきりんなシステムばかりは未だに納得が行かないのだ。わざわざ教官を指名して、さらに当日の教習開始十分前までに配車券を取り初めて教習開始となる。これらの作業が少しでも遅れたり怠ったりしたなら即五千円(当時でいうと五千円の価値)ぶん奪取られる。老人でも子供でも、この掟の前では等しく無力となる。
こっちとしてはそんな面倒な手続きを踏まずとも車に勝手な名前(ロデム)をつけて呼べば勝手に人工知能が働いて走ってきてくれる、あるいは僕がギャング団に追い詰められ万が一崖下に転落しても間一髪サンルーフが開いて椅子にセーフティ着地してくれる。そういうことも含めてオートマ車だと期待していたわけだ。もちろん僕が習っているのはあくまでミッション車なのでそこまでの性能は無理だとしても、それでも寝食を共にするうちに車に人格が芽生え、最終的に敵の親玉へ体当って自爆するぐらいのクライマックスは当然だと考えていた。
それが現実はどうだ。クラッチを踏まなければ発進一つ出来やしない。さらに半クラッチの状態で動力を伝えてから離さないとエンストしてしまうし、ギアチェンジは充分な加速/減速を行わなければスムーズにいかないなんて馬鹿な話があるか。しかもこの化学全盛の世に生まれたセグウェイ世代の僕らにハンドルを回せだって? あんなもの、原始時代なら通貨だ! ハンドルを回すときは手を九十度に交差させたり、合流するときは後方を確認しながらスムーズに行ったり、二速→三速→二速への切り替えをスムーズに行うなんてまるで視界の悪いところではミラーを利用してと言ってるみたいじゃないか! 真面目になんてやってられないよ!
2006年09月23日 16:57