■喪に服せ喪に服せ

えーと、前回「ガンダムを観た」という出だしで始まる日記を書いたんだけど、その中身が「オタクをばばばばばばば馬鹿にすんな!」に終始しちゃっていることに今さっき気づいた。肝心のガンダムのことが書かれていない。そう、肝心のガンダム。肝心の! ここが肝心の! ガンダ! ム!

あんまりやるとまた各所から「いい加減に」という声と「しろ」という声が挙がるのでいい加減にしてガンダムの内容に触れてみようと思う。誰もが名前を聞いたことはあるけれど、結構見たことがあるという人はその知名度に反して少なかったりするアニメ「ガンダム」。続編が作られたり外伝が作られたりリメイクされたりして死ぬほど派生シリーズが多く、各シリーズの相関図を書いて地上100mから見たら「あ、あれれ? モナリザの顔になってる!」ってぐらい入り組んでいる。今回僕が観たのはその派生の根元の根源、いわゆる「ファーストガンダム」と呼ばれるものだ。

主人公はガンダムのパイロットでもあるアムロ・レイ。「アムロ、いきまーす!」「親父にもぶたれたことないのに!」「セガサターン、しろ!」などの台詞で有名なアムロ、アムロ、藤岡弘。少し本郷猛が混じってしまったことに遺憾の念を覚えるが、こういったレビューに不純物(と、本郷猛)は付き物なのでご容赦いただきたい。話を戻す。このアムロは元々軍人でも何でもなく、宇宙に浮かぶテラフォーミングされた人口居住基地「サイドセブン」に住むただのメカ好きの少年。何の変哲も無い日常を送っていたはずが突然、サイドセブンに巨大ロボが攻めてきた! 

「きゃー! あれは地球連邦軍に対して反旗を翻し、徹底抗戦の構えを見せているジオン公国の開発したモビルスーツと呼ばれる兵器だわ!」

ありがとう説明好きの被害者、彼女の言うとおりこのアニメでは人類が二手に別れて戦争をする羽目になってしまっており、アムロ少年はガンダムと共にその動乱に巻き込まれていく、というのが物語の導入だ。

端的に言えばこのアニメ、成長物語である。成長物語なんていうと急に柔らかくなってしまうが、その背景はあくまで戦争。なので一話目からどんどん人が死ぬ。名も無い民間人なんてのは死にに出てくるようなもので、おそらく台本にも「死人A」とか書かれているに相違ない死にっぷり。当然、割と重要な人たちも死ぬ。そして肝要なのは、アムロ少年もガンダムという「兵器」に乗って戦っている以上人を殺しているということだ。

人は可能性を内包するものであり、未来を内包するものでもある。それを殺すというのは未来への可能性を殺すということに他ならない。戦争というものは人の死の上に成り立つイベントだが、では戦争は果たしてどのような未来を作るのか? つまり、うんこがしたくてしたくてたまらないけど家は遠いし、この辺はコンビニも駅も無い、ならその辺の草陰に隠れて野糞リアンとして第二の人生を歩むか、持ち前のギャンブラー気質を生かして家まで走るか。この葛藤の末「うんこでトイレを作る」という可能性が生まれた。さあ、人類はこの可能性を見出した先に決断を迫られる。家のトイレを見捨てるか、それでも家に帰るか。

このトイレを巡るうんこの投げ合いが戦争であり、淘汰された未来の裏に秘められた可能性こそがアムロとそれを取り巻く運命の螺旋なのだ。運命は複雑に絡み合い、やがて一つのとぐろを巻いたうんこを形成する。そのうんこを、あなたはどうしますか? ガンダムが投げかけたこの問い(うんこ)に人類はまだ答えることが出来ていない。

2006年10月08日 13:01