■習作1

僕はときどき。

僕はときどきジャムパンが食べたくなる。別に空腹でも何でもないのにジャムパンが食べたくなる。なぜこんなにジャムパンが恋しいのか原因はよくわからないけど、多分産まれてから初めて見たものがジャムパンだったんじゃないかな。まずジャムパン見て、次に看護婦見て、看護婦の右おっぱい見て、看護婦の左おっぱい見て、最後に母親をチラ見して「おつかれッス」だと思う。

そんなわけで、乳離れはできてもジャム離れのできないまま二十三歳になった僕は今日もコンビニでジャムパンを探す。そう、まるで母親を探すように。うそ、ジャムパンを探すように。そんな僕の目にあるパンが飛び込んできた。マーガリンとジャムを挟んだ、まさに理想的なパンだ。

しかし名前が「頭脳パン」

悩んだ。
すげー悩んだ。確かにジャムパンは食べたいけれども、今年二十四歳になる男が「頭脳パン」なんて、頭脳を小さじ一杯も使ってないような名前のパンだけを買うってのはかなり恥ずかしいだろう。ズボンのチャックが開いててそこからリスが顔を出してるのに気づかないぐらい恥ずかしいだろう。

しかしジャムパンは食べたい、どうしても食べたい。次のコンビニまで我慢なんて出来そうもない。
しかし頭脳パンだ
「頭脳」パンだぞ。

ジャムパンは食べたいけれど、買うのは恥ずかしい。万事ガチ休した。こんなに絶望的な状況は久しぶり、まるで前をライオンに囲まれたまま崖っぷちに追い詰められ、さらに上から銃で狙われながらたっぷり入ったホットコーヒーを運んでる気分だ。何のバイトだそれ。

おそらく五分は頭脳パンと見詰め合っていただろう。まるで久しぶりに会った恋人のようだ。知らない人が見たら織姫と彦星だと思ったことだろうが、周りで笹を燃やされても「あ、あの」としか言えないので頭脳パンを陳列棚に戻し、店から出た。買えなかったけど、まあいいさ、たかが頭脳パンだ。

しかし何だろう、この心の寂しさは、まるで頭脳パンが恋しいかのように足取りが重い。一体何故だ。何でこんなに頭脳パンのことが気になるんだ。
ジャムパンだったからか。
ああ、そうか。

2007年03月27日 21:38