ケツ毛を剃る。
三ヶ月に一回くらい僕はケツ毛を剃る。正しく言うと「ケツ毛」を剃るというよりは、「ケツ毛」と「チン毛」を区別させるために剃ると言った方がいい。
ケツ毛とチン毛は繋がっている。心と体が密接にリンクしているように、ケツ毛とチン毛も繋がっているのだ。しかしその両者の堺が曖昧なままでは、ケツ毛とチン毛の境界線(国境と、呼んでいる)付近でケツ毛でもチン毛でもない、望まれない毛たちが生まれてしまっているのだ。
国境に置いてけぼられた残留毛児たちを愛という名のカミソリで剃りとることで、ケツ毛とチン毛の間に明確な境界線、そう、運河のようなものが生まれ初めて両者は「ケツ毛」と「チン毛」の二つに別れることが出来るのだ。
ケツ毛にはケツ毛の、チン毛にはチン毛の生活があると、俺は考えている。
そしてその二つは違うとも。
神がエデンと地上を分けて楽園を管理したように、俺はある種の神としてケツ毛とチン毛を管理しているのだ。両者が両者の領分を了解した上で、よりよい進化を遂げていってほしいと俺は考えている。最も恐ろしいのは、曖昧なまま両者が増え続けることで、体中の毛が曖昧になり、区別がなくなる事だ、そう、例えばまつ毛がチン毛になるような。それだけならまだしも、体中の毛がチン毛になったら―我々はチンポコになるのか?―
俺はその悲劇を避けるために、出てくるケツ毛を剃る、のだ。
って話をバイト先でしたらドン否定された。
2007年12月20日 22:53