適度に身動きの取れなくなった女の子。
適度に身動きの取れなくなった女の子が著しく好きだ。具体的に例えを上げるならばTシャツを脱ごうとしてこう、腕をバッと上に上げたその瞬間! 腕がアームホールから抜けきれていない、適度に両の腕を拘束されたあの状態だ。あの状態状況に昂奮を覚えた男子は少ない無いはずだ。決して脱ぎ始めではない。脱ぎ終わりでもない。Tシャツ脱ぎ山脈その五から六合目に俺たちの求める薬草があるのだ。
ただ、だからといって手錠とか猿轡とかはやりすぎ論外。そんなのレイプじゃん。そうではなくて、決して絶対的な拘束ではない、やろうと思えばそのまま一イニングぐらいは投げれる状態がいい。
だからまあそういうことでいうなら上述のTシャツ六合目状態も俺としてはやや団鬼六テイストが強すぎる。理想を言うなら、すっげーかわいい子が両肩にグラスたっぷりに注がれた森以蔵のせられちゃってる状態。もしそんな子が職場にいたら一刻の猶予もなくプロポーズしたい。そう、女性の美を完成させるのはさらなる美しさではなく一抹の不自由さなのだ。
なので友人達が道行く女性を指差して「あのスケ、マブくねえ?」などと盛り上がってるのに違和感を覚える。確かにかわいいかもしれない、それは認める、それは認めるけれどアイツらすんげー自由じゃん。アメリカより自由じゃん。
違うの。そうじゃないんだ。もしもあの子が、もしもだよ、人ごみの中で微動だにしてなくてあれ? なんだろう? と思って近寄るとその子のつま先に尻尾を乗せたまま寝てる猫が見えたとしたら、そりゃもうホントご両親にご挨拶だよね。「娘さんと寝てる猫を、僕にください!」だよね。
つまり、世の中の女性は自由に動きすぎ、颯爽としすぎなのだ。もっとこう日本女性的奥ゆかしさを持った女性、佇まい静かに濡れたような黒髪とやや沈んだ瞳を輝かせつつも鎖骨に石油入れちゃったまま出社したり、あるいはもう帰らなきゃいけないのにリゾットの上に肘ついちゃったりする撫子。そういう撫子こそに惑溺したい、愛をささやきたい、そして僕の気持ちが彼女に通じ初めてのデートに至った暁にはガムを踏んだまま待ち合わせ場所にいてほしい。それだけだ、それだけなんだ。
という話を友人にしたら「不自由だなお前」と言われた。
2009年10月14日 01:01
自由になりたい。
投稿者 n : 2009年10月14日 23:27