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■糞骨砕身

FF12をやっている。

といっても僕はPS2も持っていなければ、おじさんの奥さんがたまたまスクエアエニックスの社長と友達でもない。いや、確認して無いから本当にそうでないとは言い切れない部分もあるのだけど去年離婚してるから今更彼女の家にいって「すいません、あの甲斐性無しの甥ですけどFF12買ってください」なんて言った日にはバーサク状態の元妻に慰謝料を請求されあれれ?銭投げしたのに僕にダメージが?なんて頭の痛いエンディングにストナを飲む羽目になる。じゃあ、そんな僕が果たしてどのようにFF12をやっているかというと、要するに友達の家に行った時たまにコントローラーを触らせて頂くぐらいのことである。朝飯前だ。

しかしながらやっているのはあくまで彼のセーブデータであり勝手な動きはできない、そればかりが全滅でもしようものなら後ろから漏れなく詰られ、やり直しを余儀なくされる。でも僕は幸せなのだ、FF12に触れている間だけ僕は僕になれるんだ。つまりは僕の本性というのはこの世界を救うべくして生まれてきた戦士であり、彼らが僕を逆説的に励起しているのだ。そうして眼から入った情報によって励起された精神がエネルギーとなって右脳と左脳をさんざんかきまわした挙句脊髄を直下して、一つの意味ある形を成す。僕はそれをうんこと呼ぶのだが、皆は僕をうんこと呼ぶらしい。

2006年03月31日 22:42


■捨てちゃえ

最近は全く

ダメを絵に描いたような生活をしている。就職活動もろくにせず、日がな部屋でゲームやインターネットに時間を費やしている。おそらくこの地球上で今僕ほどダメな人間は存在しないのではないか、その辺のゾンビよりも動いていない、そういった自負さえ最近では芽生え始めている。

こうなるとこのダメさ、というのも一つの個性であるように思える。個性が無いというのも一つの個性なのだ。特許庁が僕を見逃していることに毎分驚いている、今この瞬間も、僕の個性は発揮されているのだ。僕の個性は酸素を二酸化炭素に変え続けているのだ。やはりこの個性を活かさねばなるまい。

手段として思いつくところはとりあえずNatureやTIME,ファミ通といった影響力のある雑誌に取り上げられること、そうすることで僕の個性は人口に膾炙し、誰もが僕のようになりたい、僕のようにありたいと思うことだろうが、一部の賢い人間は気づくだろう。「なりたい」「ありたい」と思ってしまったその瞬間から、僕から遠ざかってしまうことを。そう、神に祈ってしまった時点ですでに神になることを放棄しているも同然なのだ、しかし神は必要だ。この世に神はあるべき存在なのだ。科学にも文学にも神は存在している、ただ一つ、宇宙を包括するような神、そう、愛しくて抱きしめたら溶けてしまうような、粉雪のようなパラドックスを天賦された僕こそがまさに神になるべきなのだ! しかし、めんどくせえな。

2006年03月31日 22:42


■諦めてネトゲにハマりだすが、それはまた別のお話

就職活動、とりあえず言葉に出しておけば誰かが拾ってくれるかもという淡い期待を抱いてはいたのだけど、家から一歩も出ずにただモニタの前で御社を志望した理由を唱えるだけでは焼け石に水、大河にスリムアップシュガー。

そろそろ本格的に就職活動を始めないと完全に乗り遅れるばかりか次発の無職鈍行の優先座席にご招待、つまりはシルバーニートとしてその生涯の幕を閉じることになる。そればっかりは避けたい、この世界に俺の生きた証を! ということで就職活動の一つもしなければいけない。ただ一つ解消すべき大きな疑問として「就職活動って何」という命題が挙げられる。要するに、何をすればいいかがこの期に及んでわかっていない。

エントリーさえすれば抽選結果は内定を以って返させていただかれるのかなと思っていたのだけどもどうやら大きな間違い、エントリーした上さらにエントリーシートなるものを提出しなければいけない、さらにエントリーシートを出したといって安心するなよ、我らの上にはまだ第二第三の面接が貴様を待ち受けているのだ! 彼らにかかれば、貴様、など、ぐふ! 全く重要なところで四天王の一人「疾風のエントリー」は息絶えてしまった。しかし彼の残した言葉「エントリーシート」「面接」それらを踏み越えていかねば内定を得ることはできない、行け! 戦士たちよ、内定をその手に勝ち取るその日まで!

「俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ!」

いやマジで。

2006年03月31日 22:39


■青い鳥の襟首を掴みながら

最近全く外に出ていない。

これではいけない、ただでさえもやしっ子の名を欲しいままにし、僕のせいで「肌色」の定義が揺れるほどの湯上りエッグマンこと僕が外に出ないとなるといよいよマズい、かのモーゼも十戒の中で「お外で遊びなさい」と言っている、ここ最近天気が安定しないのも太陽と北風のどちらが先に僕を家から出せるかを競っているからだと議会では一致している。

しかし外に出る理由がないのだ。

一体外に何があるというのか。外にあって、僕の家にないものがあるのなら、外にも出よう。しかし僕の家には全てがある、自由があるのだ。この中から出るというのは、すなわち自由を放棄するのと同じではないか。君は青い鳥という話を知っているかね? チルチルとミチルという二人の子供が幸せを探しに森に出た挙句、お菓子の家だとか夏子の酒だとかを散々飲んで千鳥足になり、もうこれ以上この地雷原を進めないよということで家に帰ると、その家に青い鳥、すなわち「幸せ」があったという話だ。これはまさに、幸せこそ家の中にあるということの証左に他ならない、単なる童話だと? 童話にこそ真実があるということが何でわからんのだ、寓意というものは人の中で噛み砕かれて始めて、ああもうわからんやつだな、埒があかん、呆れるだと、それはこっちの台詞だ! もう勘弁ならん、表に出やがれ!

2006年03月31日 22:37


■しかし機長ももじもじと

活発な太陽光線。

道端に転がるサラリーマンどもの発する意識に削られて地球は丸さを保っている。就職活動も、バイトも、卒論も、全て投げ捨てて土手の中にシェルターを築きたい。そのシェルターにはありとあらゆる動物たちの雄ばかりを閉じ込めて童貞の箱舟とするのだ。

童貞の箱舟は銀河を突き抜けて、雌を探し続ける。いつまでもいつまでも銀河を彷徨い、伴侶を探し続ける。いわゆるイカ臭いボイジャーがアステロイドベルトに参加し、土星の周りをぐるぐると回るのだ。そのうち彼らは小惑星たちに教えられる、土星の輪がアクセサリーなどではなく土星に対し抗議をし続けるデモだということを。

「いったいどういうことですか、土星の輪がデモ行進だなんて、悪い冗談だ」
「冗談ではない、土星税の引き下げを彼らは懇願しているんだ」
「そんなにひどいのですか」
「そう、納めないと土星罰を下されるのだよ」
「罰だなんて、いったいそれは」
「星流しさ」
「ひどい」
「一万光年先まで左遷される」
「……まんこ?」

話にならん。

2006年03月31日 22:29


■スイッチ入れたら暑くて出てきた

家に帰ってくると、ゴリラがこたつの中で丸くなっていたので追い出そうとすると全身の毛を逆立てながら威嚇してきた。ゴリラのくせに生意気なと思い片栗粉でとろみをつけたクレンザーを口に含んだ瞬間、意識が遠のいて、僕は夢を見た。

それは不思議な夢だった、懐かしくてどこか暖かくて、けれど内輪ネタに溢れていて、灰色で、無茶な挑戦ばかりやらせた挙句成功しても六万円しかくれない管理人の下に集まった四人の勇者たちが、まばたきした瞬間二人に減っており、代わりに手元のみかんのへたのあたりに血がついていたりする。そう、僕は何ともいえない居心地のよさを感じながらうとうとと眠ってしまっていたので、ふと気づくともうお昼で、なぜか汗びっしょり。ああ、こたつで寝てしまったんだな、と思いこたつをめくるとゴリラがいた。

ゴリラで寝てしまったのか。

2006年03月31日 22:27


■言うったら言う

ヒーリング効果を謳ったキムチを体中に貼り付けるタイプの都市迷彩が発売された。このキムチは実に美味しくまた美容や健康にもとても良いのだが如何せんお値段が張る。世の女性はこのキムチを買わんがために自らのジングルをベルして見せた。しかしながらそんな毛むくじゃらではもはやモルボルと言わんばかりに言われたので、つまりはそう言われたのだと時の女子高生、祥子・ザ・ブドーは納得した。

さてこのキムチ、一体他のキムチと何が違うといえば「何も違わない」のである。ヒーリング効果を謳っているかだけなのである、出身地も単なる田舎である。多くのキムチはコンビナートで作られているので両者の違いは田舎か否かだけである。田舎か否か、このダブル田舎に憤慨した時の女子高生、祥子・ザ・ブドーはシティボーイのどてっぱらに祖母の形見のカタパルトで風穴を空けた。

これをドーナツ化現象と言う。

2006年03月31日 22:27


■これがまたナシゴレンとよく合う

夢から意識を取り戻すとブラウン管の向こうで矢口真理が「てやんでぃ!」などと言っておるので惑星寝違えたかと思いテレビのスイッチを付けたり消したりしているうちに矢口真理は「て」どんどんとウェディング「や」ドレスにつつ「ん」まれていって「でぃ!」 てやんでぃ。

仕方が無いのでテレビはあきらめて、ナシゴレンについて考察することにした。ナシゴレンというものが果たしてどういったものであるか、本当にわかっている人はいるのだろうか。おそらく巷には「ナシゴレンの面白さをわかるのは俺だけ」というジャンプも真っ青の売り文句を掲げながら遊女を囲っている男をよく見るが、その実遊女の高下駄は仕込み高下駄であり普通の高下駄とは違う高下駄。中にはエアーが入っているので、長時間歩いても疲れない高下駄。株で負け路上に散らばる紙くず同然の株券を呆然と眺める負け犬を踏んでおしまい。しかしいくら踏んでも疲れない高下駄。踏んでも踏んでも疲れない高下駄。負け犬はいつしかワインへと。

2006年03月31日 22:26


■アーマード・ドリーム

大合唱。

そう要するに皆で唄えば怖くないために、雨の中でも風の中でも唄うがごとき人情にほだされて、見つけられやしない飴玉を探しながらもあのデブは延々と、三食一睡を欠かさず延々とあの小麦粉の中に人生をダイブさせている。デブ人生ダイブ。デブ人生ダイブ。

武士は食わねど高楊枝、という言葉を信じて高楊枝の武士六百人にアンケートを取ったところ実に三百人が「食わねど」と回答し、残りの二百人は「今から松屋に」「わからない、面白いと思う」「無回答」などに分かれ、これでは結論が出ないと頭を悩ませた時の将軍、織田ムハンマド信長は二百人の高楊枝を相手に戦争を起こした。これが世に言う、例のあれである。

その生き残りの末裔であるデブは、今日も小麦粉に顔をつっこんでいる。小麦粉に顔をつっこんでいる間は世界は真っ白だが、顔を話せばデブのみ真っ白である。デブだけがこの世界で一人真っ白だったのである。

飴玉は見つからない。

2006年03月31日 22:25


■屁の泡沫

レストランなどでバイトをしていると自然と色んなお客様と接する機会があり、中にはティースプーンで脳から思い出をひとさじすくってやろうかとさえ思うことも。

確かにお客様は神様なんですがそれは「お客様は(必然的に金を落とすし、あわよくば何度も金を落としにやってくるだけでなく金を落とす仲間を連れてやってくることさえあり、はぐれメタルと山の天気に翻弄された世代なら夢のような存在、夢、そう、存在しえない存在いわゆる)神様です」を省略しているに過ぎず、要するにお客様が神様っていうか、お金が全て。なのに何を勘違いしたか大名気分で殿様ランチを食いに来てるポンチ客を見ると、いくらお客様でも正拳をサービスしたくなるのです。

いや、もちろん接客していて気持ちの良いお客様というのもいらっしゃいます。空いた皿を取りやすい位置にまとめておいてくれ、料理を運びづらい位置に座ってる場合、配膳を手伝ってくれるにも関わらずこちらの失敗にも笑顔でドンマイといいながら財布のヒモがイージーモード、そんな夢のようなお客様もいらっしゃるのです。

そういった方たちにはこちらとしても出来るだけ気持ちよく、また美味しくお料理をたいらげていただきたいものでコーヒーひとつにもなるべく揺らさないように運ぶことで分子のクラスタ化を阻止したり、お料理ひとつにも音をなるべく立てないように置くことで分子同士の衝突によって増大したエントロピーが引き起こす社会的混乱を阻止したりと気を配ります。またそれはお互い気持ちの良いもので、そういう意味ではセックスです。しかし中には、それどころかうっかり足元の窒素に躓いて熱々のグラタンを頭に装備させてやろうかと思うお客様もいるのです。

今日はいませんでしたけど。

2006年03月30日 23:55


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