« 2006年05月 | 2006年07月 »

■ロード

ロードオブザリング。

再放送に次ぐ再放送、以前もこれについて日記を書いた気もするほどのデジャヴをものともせずに突き進む。そう、僕もまた一人のホビットだからだ。でもホビットの遺伝子はチンポコにしか遺伝しませんでしたー! ってな文字が刻印された「一つの指輪」をめぐる大冒険活劇、それがロードオブザリングなのです。

指輪物語として有名であり登場人物もエルフ、ドワーフ、ホビット、オーク、まあファンタジーの王道中の王道を往く大金字塔。劇場版三部作も無事完結したのにも関わらず何度も何度も再放送するってことは、おそらく新作「平成狸合戦ナズグル」あたりが公開されるんだろうけど、そもそも三部作でも手に余るほどのボリュームを持つ作品。いかんせん違和感のあるショートカットが多々見受けられる。

原作がなぜ心を躍動させる生命力に満ちた作品であったか、それは一つ一つのエピソードをおろそかにしない、緻密に作りこまれた作品だからである。無駄なエピソードは一つもなく、脇役など一人もいない。それが指輪物語という作品なのだ。つまり、何かを切り捨てた時点でそれは指輪物語とは言いがたい。こんなことを言うと「映画の何たるかもわからん小僧が、知ったような口を聞くな!」などと怒られそうだ。確かに僕は映画のノウハウなど知らない、だけど原作だって半分も読んでないんだ!

なのでもっぱら数少ない女性キャラであるアルウェンの不自然に割れたクチビルを眺めながら、ああ、体育の時間にでも白刃取りに失敗したんだな、とか想像を広げるぐらいしか楽しみが無い。ケツビルを持つ奇跡の女、修行次第では唇からうんこも夢じゃない。さすがエルフ族の王女と言わざるを得ないが僕だって誇り高きホビット族、でもチンポコにしか遺伝しませんでしたー!

2006年06月24日 22:08


■愛情一本

自転車。

僕には自転車運というものがないらしい。購入した自転車がの無くなる理由トップ5ぐらいが「盗難」である。僕のもとで天寿をまっとうした自転車など記憶にない。自転車にとってはジョーカーのような僕だけども、僕自身は自転車が大好きだし、どこに行くにも自転車に乗っていく。許されるなら雪中行軍も自転車で行きたいし、フルマラソンも自転車で参加したい。

まあそんなことで自転車を酷使するせいもあって、ちょくちょくブレーキバーが重力に負けるぐらい緩くなってたり、プロをうならせるほどフレームを曲げたりする。ギアが一番軽いやつから戻らなくなったこともあった。あんまりコイツと遠いところに行きたくないという自転車たちの叫びだろうがそうはいくか! とサイクルショップへ。

凄く気の良いおっさんが一人でやってるサイクルショップで、よくお世話になる。娘さんと犬がいつも店番をしており、呼ぶと奥からおっさんが出てくるというセコムだ。娘さんと犬、という五感の淫靡さにも負けずに相変わらずおっさんを呼ぶ。お、また来たねという顔。「すいません、あのう、ちょっとブレーキがゆるくなってて」

自転車を修理するコツとして、必ず修理してほしい箇所を一つだけ言うこと、というのがある。これでサイクルショップの格が測れるといっても過言ではない。「○○を直してください」といって、ほんとにそこしか直さないショップは二流。一流のサイクルショップはサービスとして「空気を入れる」「油を差す」「ハンドルの歪みを直す」「車体の埃を拭いてくれる」といったことまでしてくれた挙句お値段は最初に頼んだ分だけ。ここまでやって本物の自転車愛というものが感じられるというわけだ。頼まれたことしかできないサイクルショップではいずれロボットにとってかわられる。そしてそのロボットが外的刺激と内的不確定要素で反乱を起こし、周りの自転車をどんどん吸収した挙句巨大化。その大きさは山を超え、天を覆い、やがては巨大な車輪に地球がテニスボールっぽくハメられいいように公転させられるのだ。

そういった悲劇を防ぐためにも、良質なサイクルショップだけ残そう、ということだったが余談が過ぎた。そうこうしているうちにおっさんはてきぱきと作業を終え、僕はブランニュー自転車にまたがり、風を切る。車輪がスムーズに動く、ブレーキの感度がよくなっている。万全のコンディションに回復している。これならどこへだっていけそうだ、ありがとうおっさん!

っていう自転車が、盗まれた。

2006年06月24日 21:45


■縁日は突然に

ワールドカップ。

さあさあ、いよいよもってのミーハーぶりに我が家のミーさんハー閣下もご満悦。夜な夜なサッカーサッカー、黒い人も白い人も太いドレッドを頭上で結び「僕やかんです」という言い訳で何とか入場を試みるブラジル人サポーターも皆一同に介してのお祭り騒ぎ。

しかし勘違いしてはいけない。サッカーだけが、ワールドカップではないのだ。世界単位のお祭り騒ぎことワールドカップ、この中でサッカーだけに注目するなんて縁日で焼きそば屋の目を盗んで天カスのメガ食いするようなもの。お祭りというぐらいだから世界単位の型抜きや世界単位のスーパーボール掬い、もちろん祭り後の神社で落ちてる金が無いかを探す小学生も世界単位で発生してくれてウェルカムなわけだ。

しかしテレビに中継されるのはなぜかサッカーだけ、ということでどうしてもそっちに目を向けざるを得ない。もっとワールドカップを楽しむべきなのだ。そら海に目を向ければ海溝に挟まった直径20mのスーパーボールをサルベージするも副船長が先走って投げたせいで船内をボインボインと跳ね回り、返り血がとてもきれいな万華鏡。そら陸に目を向ければ国を挙げてのスーパー型抜きの開催だ。ヘリコプターやチューリップなんて細かいことはいわねえ、アジアからモンゴルを抜いたら五千円! 五千円! 難しすぎるよおじさーん! こんなのできるわけないじゃんか! 何をぅ、だったらできるって証拠を見せてやる、これを見ねぃ!

そこには五千円を握り締めたまま日本列島を眺める小学生の油絵。

2006年06月24日 11:16


■連絡事項

忘れてた。

言い忘れていたこと、誰かから言えと言われたことでもあった気がしますが、7/15に開かれるオフ喜利というイベントに参加します。東京で行われる、要するに素人の大喜利イベント、しかし素人といって侮る無かれ、そこに名を連ねるはネット上で一世風靡したつわもの ばかり だー!

まあそんなところへいって大喜利してこようと思います。ちなみに大喜利って「おおぎり」って読むくせに「おおぎり」では変換できないのでいちいち「おおよろこぶ」って打ってから「こぶ」を消して「利」を付け足してるんですがこれが想像を絶する重労働。極力「大喜利」とは打たないように日記を書こう、という願いを込めて「クリトレシート」というサイト名にしたぐらいこれがめんどくさい。誰かこれだけやってくれないかな、こぶを消して利を付け足すだけでお家で簡単にお小遣いが稼げちゃうバイトですよ。もしくはそういうウィルスに感染したい。とにかく面倒なのでこれ以降は「喜利」の部分を「盛り」に変えます。

さらにもうひとつ。これもそのイベントに関連しているんですが、「週刊アスキー」という雑誌のWeb0.2というコーナーで大盛りしてます。オフ盛り出演者の中から数名の面白い人たちが出されたお題にボケる、というシンプルこの上ないコーナーです。リアルタイムで見るオフ盛りも面白いですけど、文字で見る大盛りも違った趣があってよろしいのではないかと思います。「週刊」ときて「アスキー」なら週刊ジャンプ、サンデー、マガジンなど「週刊」のあとにカタカナのつく雑誌を読んでいた世代の皆様には堪らない雑誌だと思います。僕も今から買いに行きます! よーし、いくぞー!

2006年06月17日 21:14


■日本代表

柿の種が食べたい。

死に際の祖母のような出だしといえば不謹慎であり、日記をごらんになっているサムシング末期の患者諸君には申し訳ないとは思うものの、僕は自分の心にうそはつきたくない。柿の種が、食べたい。

柿の種なんてものはコンビニストアに行けば売っているものなのだけれども、その値段の強大さに気づいてしまった昨今、なかなか手が出せなくなってしまった。あまつさえ外は雨。無数の雨粒が叩きつける外に出てしまったならいかに傘を持っていようと蜂の巣は必至。ひとつ考えられる方法としては同じ色の雨粒を三つ並べることによって雨粒を消しつつ、相手の陣地(グアム)にお邪魔ぷよを降らす方法のみだが、誰かを犠牲にして得た宝物なんて、何の価値も、無い。

柿の種にも最近いろいろなバリエーションがあり、わさび味、こしょう味、さらにピーナッツのみ、柿の種のみなど、ここのニーズに合わせた亜種が生まれ続けている。この調子で行くなら柿の種ピーナッツ味やら、柿の種(兄)といったものが出てくるのもそう遠い未来ではないだろう。そうして細分化された柿の種界に何が起こるか。賢明な読者諸君ならもうお気づきだろう、そう、この世から柿の種が××るのだ。ここまで言えば賢明な読者より少し劣るものの、一般的に見ればやや賢明な読者の皆様もお気づきだろう、そう、この世から柿の種が消×るのだ。さあ、どうでしょう、ここで正解すれば50点、まだ逆転のチャンスは残されている。

最後まで、あきらめないでほしい。

2006年06月17日 20:29


■W

はいどーもー、ワールドカップでーす。

そんなノリでドイツからやってきた十一人組ユニット、世間ではそれの話で持ちきりらしい。ではどれ僕もひとつ持ちきって見るかなと先日の日本vsオーストラリア戦。松木安太郎の脳をアインシュタインと入れ替えたぐらいサッカーの知識に乏しい僕は、とりあえず日本がオーストラリアに侵略され、このままでは資源はおろか日本の男は労働力としてエアーズロック磨きに、女は全て犯され慰み者にされた挙句エアーズロック磨きにされるが、国際法とか皆の態度が気になっておおっぴらに戦争ができないよ。じゃあサッカーで勝負だ! ということで納得をさせた。

そしてキックオフ。なんだか攻められている。ちょっと攻められすぎだ。そんなに俺たちは悪いことをしてない。カンガルーのポッケを縫ったのがそんなにいけなかったんだろうか。しかし解説はなんと平然としたもので「ここからカウンターで一気にいきたいですね」などと言っている。とはいえカビラのヒゲを全部抜いたぐらいサッカーの知識がない僕は、「先制点を奪われるんじゃないか!」という危機感に耐え切れなくなり、精神安定剤をウィスキーで流し込み写経をしながら故郷の山河を思い出していると、ああ、見える、緑あふれる草原で日本イレブンとオーストラリアイレブンが仲良く写真を撮ったりフリスビーをしたりしている。帰り際、ヒディンクが「この思い出をここに残そう」と言い出した。なんて素敵な考えだろう! 皆はそれぞれの思い出を持ち寄り、タイムカプセルに入れ埋め場所を探す「ここがいい」「いやここだ」「ここしかないだろう」「あの向こうとかどうだ!」「おい! 勝手に埋めるなよ!」

しかしそれは次第に激化していき、ボール型のタイムカプセルを取り合う熾烈な争いになってしまった。こっちだ! ヘイ、こっちだ! 二十二人それぞれの思惑でゆれるボール、埋める場所が中々決まらない最中「俊輔が決めたー!」日本が決めた! あの場所だ! あのネットに囲まれた場所に埋めるのがいい! 俺もそう思ってた!

一時は喧嘩になるんじゃないかと思ったタイムカプセル埋め場所カップが平穏無事に終わりほっと胸をなでおろしながらチャンネルを変えると、今度はあさま山荘で警察とそれ以外が衝突していた。こちらはというと二時間弱争った結果、3-1で警察が勝ったらしい。

2006年06月16日 00:01


■アート驚く

芸術とは

芸術とは何か。認められないものだ。認められないものが芸術である以上、芸術を認めるということは、自分の作り出した偶像を崇拝するということであり要するにモデル体型で姉御気質で顔は少しキツ目だけど突っ張った印象はさほど与えない皆の羨望と欲望を一身に集めながらも「何で自分ってモテないんだろう」という鈍さを併せ持った安めぐみを認識することに似ている。

そんな安めぐみを認識してしまうと起こる問題は、安めぐみ本体の存在の危うさが増す、ということだ。この認識上の安はめぐみであってめぐみでない。僕らが作り出した偶像、あるいはイメージに過ぎないのだ。これの比重が増すと世界はイメージ高めぐみ安というダジャレを被爆する。

ガツンとシリーズのグレープフルーツだけは芸術だが、放射能によって生まれたミュータントだ。旨すぎて話しにならん。ガツンとシリーズには今後もさまざまなフルーツが挑戦し続けるだろう。もしかしたら今まで日の目を見なかったフルーツが、思わぬスポットライトを浴びるかもしれない。ガツンとシリーズは果物界のM-1グランプリなのやねん。

果物というものは自然の幸ではあるが、一部のそれは一部の人間に加工されることによって市民権を得る。本物のマンゴーを、マンゴープリンなどより先に食べたことのあるニンゲンが果たして何人いるか? フルーツ界のシンデレラは、王子と恋に落ちてからカボチャの馬車に乗るのだ。逆回し童話、子供たちの記憶力次第ではシンデレラが魔王の心臓を抉り出すサクセスストーリーになっても文句は言えないインパクトにあふれたこの皮肉は確かに存在する! そして人々は加工されることによって知った果物のリアルを知りたいとさえ思うのだ! この悲劇! この喜劇! 人々は「ガツンと未知のフルーツ」を食べることで、未知のフルーツを想像し、いざ自然の恵みに遭遇したら、その現実に落胆し世界はまたもやイメージ高めぐみ安を被爆する。

後悔しても、もう遅い。

2006年06月10日 21:00


■そして伝説へ

あの。

あの名ゼリフ「俺は就職をしない!」で幕を閉じたクリトレシート第一章なんですが、どうにかして金を稼がないと生活できないということに第二章で気づき、第三章でもうひとつくらいバイトしないと駄目かなあ、と思いつつ第四章でちょっと麦茶を買いに行ってただいま第五章の真っ最中。

とりあえずこういうときは街にふらっと出かければいいのだ。街には可能性があふれている、ぶらぶらと歩いているだけでも可能性に触れることが出来るかもしれない。可能性、そう可能性を大事にしないといけないのだ。賢人ぶって取捨選択するより体力のある限り可能性を貪っていく愚民の方が結果として成功することが多い。そんな僕の目の前にぶらさがる「アルパイト募集」のチラシ。なんだよその宇宙金属は。

アルパイトの使い道をエクスカリバーを造る以外にありはしないかと思索をめぐらすもいまいち思い当たらない。そんなものを募集する人間の気が知れない。なあお前もそう思うだろう。ふと気づくと横に僕と同じくチラシを眺める明らかな文無し、「お願いします! これ以上は死んでしまいます! お慈悲を!」と哀願してるようなシャツを無表情で着こなす辺り衣服にとっては悪夢のような存在だろう。

ニカッと笑うその骨董人に軽く会釈をし、僕は家路に着く。戦慄する。あれが僕の近い将来ではないだろうか。戦慄する。あながち冗談でもない未来が僕に笑いかけてきた。あるいは未来からの警鐘としてのホームレスえもんか、未来道具どころか木っ端で火を起こせそうな説得力があるぜ。まあとにかくもちょっと速度を上げないと飲み込まれて帰ってこれなくなってしまう。よし、やるぞー!

第五章・完

2006年06月03日 13:24


■ロード外伝

日常が。

日常が非常に退屈ではあるのだけれども、ふとした拍子に退屈が破られることもある。それは何の変哲も取るにも足らないような些細な出来事、そう、道端に転がっている石ころがストーリーの主役になることだってありうるのだ。道行く人々にもそれぞれストーリーが秘められているのだ、ほらご覧、あのブスの足首にめり込むアンクレットを。

悟空と猪八戒をうまくコラボレーションさせた見た目で省エネ西遊記。イマドキ天竺目指すのに三匹も連れまわすのダルくない? という全国の玄奘の声に答えて登場したあのブスの足首にはめ込まれた戒めはブスが太れば太るほど食い込むが彼女は決してそれを外そうとはしない。何故か。だってこれが切れたら願いが叶うんだもん。乙女の「SHIHOみたいな健康的グラマーになれますように」という願いとともに砕け散るアンクレットを見て、ユゴーはレ・ミゼラブルを書いたのだと。

このように、何の変哲もないことで多少暇をつぶせることもあるのだ。取るにも足らないようなことが、幸せだったのかもしれない。よくある普通の夜の事、二度とは戻れない夜。

2006年06月03日 13:23


« 2006年05月 | 2006年07月 »