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■ピント

若い人。

若い人たちが集まる場所を個人的には夢の吹き溜まりあるいはドリーム処理場と呼んでいるのだけれども、どうもこういう場所が苦手。大阪難波駅のある場所には、関西のありとあらゆるダンサーが集まり各々の腕を磨く広場がある。皆が皆それぞれ未来の哲哉小室レイヴファクトリーを目指して汗を流しているのだけれども、そのインパクトの強さからそこが待ち合わせ場所に指定されることも多い。いわば大阪のハチ公前のダンス版、SAM公前だ。

彼女とのデートなどで「今日どこいこっか、どこ行きたい?」と言われても「冷暗所」と答える僕にとって、この広場はまるで奈落そのものなのだ。もちろん僕にも夢はあるし、それに向けて頑張ってもいるつもりではあるのだけど「努力」をあそこまで煌々と表現されてしまうと何かが削られていくような感覚に襲われる。ぼんやり立っているだけでささがきに身は削られていき、一晩もほうっておけば僕のいたところに見事な俺削麺が置かれていることだろう。本場中華のラーメンを、召し上がれってな。

大陸の香りが鼻腔をくすぐるとかくすぐらないとかいう話はどうだっていい。とにかくドリーム処理場が苦手、と、ただそれだけの話なんだ。かといってあれが悪いということではない。これはきっと僕が悪い。ドリーム処理場に平気で居れるほど、きっと夢に対して努力をしていないのだろう。夢の島に新品のテレビを置くと、きっとそのテレビは凄くバツが悪いに違いない。周りは捨てられたとはいえ、ある程度本懐を遂げたゴミたちだ。手垢にもまみれず、一度も故障したことのないテレビが居るべき場所ではないのだ。

あ、何か、本当に落ち込んできたぞ。

2006年09月30日 23:14


■蛇の口は蛇

蛇口が売っていた。

ある金物屋の前を通ると蛇口が売っていた。金物屋にとっては商品の一つに過ぎないこの蛇口だが、蛇口が単体で売られていることにある種のイリュージョンを覚えざるを得ない。この際だからはっきり言おう。蛇口には魔力がある。取り付けた場所から必ず液体が出るという魔力があるのだ。

蛇口をひねれば水が、という常識は母親以上に我々を包んで、そして離さない。皆はこんな経験はないだろうか。蛇口をひねっても何も出てこず「あれ?」と思った経験が。この何気ない日常のワンカットが我々の脳深く刻まれた蛇口プリンティングの確かさを証明してしまっていると言えよう。

僕は蛇口の前で少し立ち止まってしまった。蛇口から水が出るのならば、取り付ける場所によって蛇口から出る液体に変化があってもいい。そしてまた液体が出ることによって取り付けられたものに変化があってもいいのだ。」

鍋底ダイコンに蛇口を取り付けてしまったら、そして誰かが閉め忘れてしまったら。そこにはだし汁と干からびた大根が残されているに違いない。恐ろしい。蛇口はエッセンスを排出する! 学者の耳に蛇口を取り付けたなら、彼が蓄えたありとあらゆる知識が蛇口から放出され、残された彼は何のとりえも無い凡人へと回帰してしまうのだろう。耳から蛇口の出た学者には何を聞いても無駄だろう。彼はすでに抜け殻だ。

現代では、蛇口の無い生活は考えられない。蛇口は必需品だ。しかし文字の如く蛇口はサタンの化身であるところの「蛇」の「口」。そのひとひねりがどういう意味を持つか、そのひねる手を止めて考えてみよう。

2006年09月30日 23:13


■このビーム

ビームが出ない。

イメージとしては指先から稲妻マーク状にビームが出るものなんだけれども、中々出ない。それ以外のビームが出るかといえばそうでもないんだけど、僕が出したいのは稲妻マーク状に放射されるビーム、稲妻ビームなわけで他のビームが出たところで嬉しくない。嬉しくないというと語弊がある、ビームが出たらそりゃ嬉しいけど、何か甲子園出れるけど補欠とかプレステ買ったけど英会話のCDしか読み込まないとか、そんな感情になる。

多分、今も出てることは出てるんだと思うけれど、おそらくは霧状に細かく放射されてるので見えないのだろう。指先のノズルの問題かなと指をひねっていたらメキメキ音がしたので、ははーんこりゃどこかでロックされてるなと思って膝をがんがん殴ってるとメキメキ音がした。ホームセンターに指先ノズル(ストレート)が売ってないか問い合わせれば済むんだけど、もし店員が僕の稲妻ビームに感づいてノズルをいち早く装着し来店した僕をビームで迎撃する可能性も考えられるので二の足を踏む。

もしかしたら発射口に問題があるのかな。いやでもそれは多分駄目なんだよな。花火と一緒で、こういうときは大抵覗き込んだときにビームが発射されるんだよな。多分意外と第二関節辺りまでビームは来てるから。あー。鼻くそもほじれないな。耳もほじれない。そんなときビーム出たら死ぬし。よく考えたらビームは不便かも。不便とはいわないまでも生活には不要かも。専門でもない奴が好奇心で出すもんじゃないねこういうのは。出掛かってるビームをとりあえず押し込もう。メキメキ。

2006年09月23日 16:58


■網膜

教習所のことを書く。

自動車教習所では自動車の乗り方を教習する場所だと聞かされて僕は毎日毎日通っているわけだけども、あの、みょうちきりんなシステムばかりは未だに納得が行かないのだ。わざわざ教官を指名して、さらに当日の教習開始十分前までに配車券を取り初めて教習開始となる。これらの作業が少しでも遅れたり怠ったりしたなら即五千円(当時でいうと五千円の価値)ぶん奪取られる。老人でも子供でも、この掟の前では等しく無力となる。

こっちとしてはそんな面倒な手続きを踏まずとも車に勝手な名前(ロデム)をつけて呼べば勝手に人工知能が働いて走ってきてくれる、あるいは僕がギャング団に追い詰められ万が一崖下に転落しても間一髪サンルーフが開いて椅子にセーフティ着地してくれる。そういうことも含めてオートマ車だと期待していたわけだ。もちろん僕が習っているのはあくまでミッション車なのでそこまでの性能は無理だとしても、それでも寝食を共にするうちに車に人格が芽生え、最終的に敵の親玉へ体当って自爆するぐらいのクライマックスは当然だと考えていた。

それが現実はどうだ。クラッチを踏まなければ発進一つ出来やしない。さらに半クラッチの状態で動力を伝えてから離さないとエンストしてしまうし、ギアチェンジは充分な加速/減速を行わなければスムーズにいかないなんて馬鹿な話があるか。しかもこの化学全盛の世に生まれたセグウェイ世代の僕らにハンドルを回せだって? あんなもの、原始時代なら通貨だ! ハンドルを回すときは手を九十度に交差させたり、合流するときは後方を確認しながらスムーズに行ったり、二速→三速→二速への切り替えをスムーズに行うなんてまるで視界の悪いところではミラーを利用してと言ってるみたいじゃないか! 真面目になんてやってられないよ!

2006年09月23日 16:57


■うるせえ!

「オラオラオラー! 山賊さまのお通りだー!」
「ひいい! あれは自己申告によると山賊だわ!」
「毎月の年貢を取りに来たぜ、準備は出来てんだろうなあ!」
「すすすすいません、今月は売り上げが芳しくなくて」
「ふざけんな! ANNASUIっつったら押しも押されぬ人気ブランドだろうが!」
「ひい!」
「仕方ねえ、金がねえってんなら代わりの物をもらってくしかねえようだな」
「あ、それは! キラキラ欲望ご満悦、アイグリッター三色セット!」
「へっへっへ、親分! こんなもの見つけやしたぜ!」
「そのニクラシイほどサリゲナイ。朝から晩まで美しい。眉。をプロデュースするアイブロウパウダーだけはご勘弁を!」
「兄貴! これブラシ付ですぜ!」
「やめてくだされ! お金はこの通り……」
「おうおう、あるんじゃねえか親父よ…だが、ちっとばかし遅かったな」
「へ?」
「お前が返すの渋ったせいで、利子がついちまったぜ! オイ!」
「へい!」
「ああああ! うちのお花が咲いちゃった。ブルーミィリップにみずみずしいツヤ感とともに繊細なパールが光を放ち、立体的な唇を演出するスイルージュS! さらにぷっくりグラマラスなくちびる。トロリと発光、チラリと色気。なまめかしく、かわいらしく、誘い」
「うるせえ!」

2006年09月16日 20:32


■オート馬

教習所。

教習所に行きだしてからというもの、日記に書かれるほとんどが教習所での出来事だというこの事実。いかに僕の人生が起伏に乏しいものかを表してしまっているようで非常に遺憾であるが、そんなことで負けてはいられない。このマラソンは僕が免許を取得するまで続けられるのだ。

物事は全て形から、あるいは知識から、下準備をちゃんと整えてから望めば予期せぬ事態も難なくコンプリートということで先にしこたま学科教習を受けていたら「学科教習第二段階に進むためには、技能教習の第一段階を終わらせてないと駄目」まさかの足切り。そうやって大人たちは俺達を見た目で判断して! 技能教習が何だ! 知識がなければ車だって作れないし、何より理論抜きでの運転では帰りのエネルギーがすぐに尽きて過去のドクに頼らないといけなくなるし、デロリアンは隠さないといけなくなるんだ! あまりの仕打ちに酒場でくだを巻いていると身の丈八尺はあろうかという偉丈夫が豊かな髭をなびかせながら隣に座る。手には「教習ガイド」。

同じ志を持つ者、ということで我々はすぐに意気投合し飲み明かしていると今度は黄不動さもあらんといった大丈夫が肩に進入禁止の標識を担ぎながら入ってきた。ごぶごぶと酒を飲む彼に声をかけると、同じく教習所の暴政に憤る同志だという。等しく血の涙を流す者、兄弟の契りを結ばん。桃園で杯を交わし誓う。仲間が出来れば心は強い。初めて握るハンドルも、初めて踏み込むアクセルも、赤兎馬で併走する弟の姿を見れば何ら恐ろしいものではなかった。

2006年09月16日 20:31


■ミイラ取りミーツガール

百円貯金を始めた。

例の、入れることは出来ても出すことはかなわないという缶型の貯金箱だ。「入れることが出来るんならそのまま中で出しちゃえばいいじゃねーか!」と憤る諸兄の気持ちは痛いほどわかるが、そもそも何もかもを下半身の事象だと受け止めるそのハート、戦場には優しすぎる。

まあ軽い気持ちで始めたものだし、普段何気なく清涼飲料水やスナック菓子や乾燥麺に消費している銀色のニクい奴を少しでも貯金できれば生産的ではないだろうか。しかもこの貯金箱は中身を全て百円玉で埋めれば三万円になるという。今日びスライムでも八匹集まらなければキングスライムになれないのに百円玉で缶を満たすだけで三万円がもらえるというのは中々に太っ腹。バブルの兆しここにあり。

そんなわけで毎日一枚ずつ百円玉を投入しているのだが、これを始めてから明らかに生活水準が落ちた。財布の中から見る見るうちに金は減っていき天空は暗黒に覆われ無数のエンゲル係数が王国を埋め尽くした。一体どういうことだろう。僕の生活はたった百円に支えられていたということだろうか。百円を入れるたびにまるで身を殺がれるような痛みが脳髄を走る。しかし止められない。一種マゾヒスティックな喜びさえ感じられる。百円を貯金すればまた生活が苦しくなるのはわかっている、わかっているのに、なのにどうして!

最早生活費も底を衝くがバイトの給料は月末にならないともらえないので、いざというときのために用意しておいた虎の子貯金を崩そう。仕方ない。百円貯金のためだ。

2006年09月16日 20:30


■シャア少佐新春シャンソンショー

ゼミ合宿という名の。

ダンテがフリーパスをケチったために見そびれた地獄の一つとしてゼミ合宿が挙げられる。卒論の草稿を五十枚書いてきて、さらにそれを皆の前で発表し検討するというこの地獄は前世で他人から借りた漫画にポテチの油しみをつけたものが落ちていく。草稿を仕上げるまで地獄から這い上がることはかなわず、またその題材は難解を極めた日本文学ばかり。意を決して草稿に取り掛かろうとすればたちまち鬼がガンダムのDVD-BOXを持ってきて誘惑する。よしんばその誘惑を振り切ったとしても、気づけば桃鉄の設定年数が99年にされており多くの罪人たちは草稿を仕上げることなく永劫の苦しみに喘ぎ続けるという。

そういった会合に僕は赴かねばならない。仕上げておくべき草稿は未だにタイトルさえ決まっていない。ここは現世だ鬼はいない。しかし草稿は終わっていない。人は放っておくと堕落の方向へ転げ落ちていく、この精神の自由落下は「知恵」が悪魔によって与えられ「娯楽」が悪魔によって喚起されたものである故か、それとも神の誘導か。とにもかくにも「努力」が続かない。どれだけ鳴り物をぶらさげて連載させても読者アンケートがぶっちぎりの最下位で連載3ページ目にして努力が打ち切られるこの三日クレリック。これをどうにかしなければ! 変わらなければ! まずこの決意が三日で変色する。

そんなことを言っていても草稿は仕上がらない。最早こうなれば合宿の会場となっている場所を炎上させ、少しでも日を延ばさせる他手段が無いか。そうだ、人は火を使うことで闇を切り開いて来たではないか! 火が、悪魔によって与えられたものであっても、僕はそれを手にとって未来を照らす。希望の火を、燃え上がれ、燃え上がれ、燃え上がれ、ガンダム。

君よ。

2006年09月09日 13:52


■ロイヤル粥

横顔の凄くかっこいい人。

強制収用所略して教習所に入り浸っている街一番の不良といえば僕のことでもちろん家族も漏れなく不良、兄貴は授業中に寿司を握ってアルカトラズに立たされているし親父は元ヤクザ今は足を洗って立派なヒットマンで母親は中森明菜、そんな僕が今日も凶とて教習所で自分で考えた新しい夜露死苦を机に彫っていると横に凄く横顔のかっこいい人が座った。

年の頃は僕と同じくらいだろうか、しかし身長はすらっと長く180cm着ている服はとてもじゃないけれど常人には着こなせないような奇抜なファッション、僕が来たら間違いなく「村興し」というあだ名が付きそうなその服をかっこよく着こなしている。しかし残念ながら彼ったら恥ずかしGARIYAでこっちを向いてくれないものだから横顔しか拝めない。だがその横顔も、かっこいい。

鼻はすらっと高くその下の唇は甘く引き締まっておりそれと照応するかのごとくきりりと上がった目元。どこをどう見ても非の打ち所の無い顔をしている。綺麗な異性が目の前に現れては当然見とれてしまうが、極端にかっこいい同姓が現れても同じく見とれてしまう。全貌を知りたい、かっこよさの全貌を知りたい。しかし彼は前を見据えている。おそらくそこに俺の居場所がある的なことを考えているのだろう、しかしそこには空気の読めない短髪メガネが座っているため彼は僕の横に座っているのだ。

もうきっと彼はこのまま動かないだろう。きっと僕が正面に回ってもこの横顔だけしか見えないのだ。完全な美になるべくして生まれた横顔だ。彼の神聖性は揺るがない、その横顔が揺るがない限り。その正面を知りたいと思うのは冒涜に過ぎないのだろう。やんごとなきものは、やんごとなき故にやんごとない、きっと彼はとても高貴な生まれなのだ。僕が近づくことなど許されないほど高貴な横顔、ロイヤル横顔ストレートフラッシュ、そう彼は貴族だった。前から見たら鼻が前方後円墳みたいな形してた。

2006年09月08日 13:56


■ホシになった少年

とうとう教習所に通いだした。

ドラクエの発売日なみに伸ばしに伸ばしてきた教習所通いの火蓋が切って落とされてしまった。虎穴入らずんばノーライセンスの諺もあることだし覚悟を決めた、俺、免許を取るまで教習所を卒業しねえ!

息巻いたところで学校というものが大の苦手である僕は、そこにいるだけでHPが減っていく。学校というよりは人が大勢で誰か一人の話を聞く、というのがもう駄目なのかもしれない、いや、人が大勢でってのが駄目、や、人が駄目なのかも、あ、僕が駄目なのかもしれない。とにもかくにも授業は進行していく、しかもこれってば真剣にやらないと免許も取れないという賽の河原に勝るとも劣らないコキュートス。氷牢地獄から歪んだ光を通して見えるのは仏の嘲笑する姿と車両横断禁止の標識か。

ということで先日は標識のアレコレを学んだ。ながら運転は絶対してはならんぞ一休と言い含められてきた僕に最初に飛び込んできた「標識を見ながら運転しなければいけない」というアンチドグマ。この超ド矛盾をどう納得させるかで五十分を費やすことになった。標識を見ると注意力が四散し事故に遭う可能性が増大する。しかし標識を見なければ同じく事故に遭う可能性が増える。もうこうなると助手席にナビ彦君を乗せ教えてもらいながら、駄目だ、これでもながら運転になる! いや待てよ、あらかじめ通る道を歩いてそこにある標識を全て覚え、どこをどういう風に運転すればいいかを予習すれば標識を見なくとも運転ができる! なるほど皆こうやってながら運転を乗り越え「ギアを変えるときはクラッチを踏みながら」ファック!

2006年09月07日 13:47


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