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■腹痛? 病気でしょう

頭痛に関して。

頭が痛いとき、それはあなたのカルマが頭痛という形で顕現しているのです。現代では頭痛のメカニズムはすでに解明され、バファリンやストナといった薬剤によって頭痛をコントロールできるとさえ信じられていますが、頭痛は本来そのようなものではありません。

頭痛は因果なのです。犯した罪のあがないなのです。遠く太古に犯したミニ四駆本体からタイヤ、モーターに至るまで全て万引きによってカスタマイズされた盗人エンペラーはまさに猛々しくその辺のノンカスタマイズ四駆をチギり、すげえすげえと御輿されたツケが、まさに我々の頭痛の種なのです。

その証拠に、バファリンなどの薬剤で「完全に」頭痛を消し去ることはできません。一時は薬剤の効果で頭痛を抑えることができても、いずれまた頭痛は姿を現します。一重に、カルマが浄化されていないからなのです。そしてまた人はバファリンを手に取りその度錠剤の丸さとアルミベアリングローラーの、あの日の丸さが、俺を、俺をどうしても追いかけてくるんだ。

2006年01月31日 22:13


■応援を呼んでください

時間に関して。

追われ終わらず負い続けなければいけない時間というもの、いつの世も我々を煩わせます。今にも終わりそうなことが、終わらないように祈ったり、延々と続く終わらないことを、終わるように祈ったり、様々です。

時間が餅のようなものだとしたら、我々は餅に囲まれているのと同じです。時間がトイプードルだとしたら、トイプードルに囲まれているのと同義なのです。トイプードルはきょとんとした顔で我々を見つめるでしょう、なぜこの人間というやつは我々を愛玩し、我々と生きようとするのか。その先にあるものは何か。果ては我々を科学で作り出す人間というものはまるで不思議だ。そう、どうしてあの人間は地面に穴を掘ってそこに男性器を出し入れし、そして婦人警官に見つかれば「俺はエクスカリバーの生まれ変わりです! 抜いてたら抜けなくなってしまいました! 早く抜いてください!」と哀願するのだろうか。トイプードルは首を傾げ続けます。婦人警官も。

2006年01月31日 22:12


■哲学の出口

キモいといわれることに関して。

僕は女性からキモいと言われることが度々あるのだけども、このキモいとは一体何を意味するものか。世間的にキモいと言えば「気持ち悪いものの総称」であり、近寄りたくない対象に使う言葉ではあるが、だからといってペスト病患者に「キモーい!」と言ってしまっては人権というごつごつした棒によるホームランで記憶がフルーツバスケット。

つまり、本当に近寄りたくない気持ち悪いもの、に対してむしろ「キモい」という言葉はタブーとなってしまうということになる。では「キモい」の本質は何か、女性は僕に対しキモいと言うはするものの交友を完全に絶とうとはせず明らかな距離を置きつつも一応僕のメールに返信はしてくれる。消しゴムを貸すといった求愛行動も見られる。ここから導き出される結論として、「キモい」と面と向かって言われる場合は「I love you」「I need you」もしくは「come on oh yes drive me mad」という意思表示に他ならないわけで、むしろ最大級の愛情表現であり最も喜ぶべきことなのだという話をしたら、ぶっちゃけキモい、って言われた。

さて、ぶっちゃけキモいといわれることに関してだが。

2006年01月31日 21:44


■わああー!

死ぬということに関して。

死ぬ、ということは人間の逃れられぬ運命でありながら人間が最も恐れる生理現象であるわけです。僕も例に漏れず死ぬのは嫌だしスラム街は怖い。人間がまるで興味の無い玩具を扱うように殺され、子供は乞食の真似事をし女は娼婦の真似事をする。そうしなければ死しか待っていないスラム街は本当に恐ろしい場所です。

人々がスラム街を恐れることの背景には、死が密接に関わっていると言っても過言では無いでしょう。いくらスラムが危険な場所だとしても、死なないと保証されていたとしたら、人々はここまでスラム街を恐れるでしょうか。少しばかり危険なディズニーランドとして、ウサ耳をつけた子供が乞食の真似事をしシンデレラ城は娼婦館と化し黒人のドレッドがチュロスになる程度です。

そう、人々が恐れること全ての根底に、死が脈々と流れているのです。死を恐れる心がスラムを恐れる心を誘発しているのです。スラムは決して怖いところではありません、少し見方を変えればかくもスラムはスリリングで、愉快で、そして安全な街になるのです。ここで僕は声を大にして言いたい。「わああー!」と。

2006年01月31日 21:43


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