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■ゆるーく

エントロピーとは何か。

「エントロピーとは何か」という本がある。本、というのはやはりある程度のエンターテイメント性をもつべきだと思う。例え教本でも、それがどれだけ勉強になる本であっても、面白くなければ読む気が起こらないというのが人間だ。

そういう意味でこの「エントロピーとは何か」という本はどうだろう。一度開くとありとあらゆる方法でエントロピーが説明されている、天気の話も料理の話もエントロピーを説明する材料に過ぎない。料理の話題が出てきたので「今夜の献立はこれで決めよう」と思ったのに気づいたらいつの間にかエントロピーの話になっているのだ。猫も杓子もエントロピー。これでは全く面白くない。何より僕はエントロピーに全く興味が無いのだ。

しかし全く読んでいないわけではない、この本から学べること(主にエントロピーのこと)は多い。エントロピーとは何か、エントロピーとは「でたらめさの尺度」だ。この大真理が開いて数ページに書いてあったので読むのを止めた。後の方は全く読んでいないのでわからないが、おそらくこの部分を書くための下敷きか何かだろう。読み終わったのだからさっさと図書館に返せば良かろう、とあなた方は思うかもしれない、しかし、この本の持つ一番の疑問を忘れてはいないだろうか。本当に後の方はただの下敷きなのか、それがわからない内はこの本を返すことはできない。たった数ページを書くためにわざわざ二百ページもの下敷きを用意する必要が、本当にあるのだろうか?

その後も図書館に通い「エントロピーとは何か、の後の方は下敷きか何か?」を探したけれど一向に見つからずに途方に暮れた。借りてからすでに一年の月日が流れている。司書の人たちは「こいつエントロピーが何か理解するのにどんだけかかってんだ」と思っていることだろう。もしかするとエントロピーとは、僕が思っている以上に複雑怪奇なものなのかもしれない。あの未踏の二百ページはそれを説明しているのかもしれない。しかしだからといってあの本は面白くないし僕はエントロピーに興味ないしこれ以上読み進めることは出来ない。

何だか負けたようで嫌だが、このままでは次の本が借りられなくなるので今度「エントロピーとは何か」は返してしまおうと思う。しかしこれでは余りにも悔しい。僕は負けず嫌いなのだ。あの程度の本が理解できなかったなどプライドが許さないので、返す時さりげなく司書に「エントロピーって何ですか」と聞こう。

2006年08月31日 21:28


■ハンカチ王の暴政

コンビニ。

良く行くコンビニの、店員の質が加速度的に落ちて来ている。そこは一見して何の変哲も無いヤマザキデイリーストアー、ヤマザキ春のパン祭りなど二大ロックフェスの一角を担うことで有名なあのヤマザキデイリーストアーだ。店長は小柄な老夫婦、といっても年の頃五十半ばといったもので、院政を敷くでもなく朝方はせっせと働いておりその年の功による気遣いは僕らに気持ちのいい買い物をさせてくれる。

しかしながらそれ以外、つまりアルバイトの質がとんでもなく低くなっている。そもそもコンビニのバイトに「ワイは猿や! ヤマザキデイリーストアー猿や!」そんな気概で働いている奴なんぞ一握もいないぐらいの認識は僕にもある、が、それでも尚ひどいのだ。以前はまだ普通のアルバイト、まあ中には無口なゴリラもいたがそれはそれで霊長類に近い生き物だしゴリラの母性本能は凄いし、といった体で特に気にしなかった。これがもし自分の糞をカラリと揚げて「さーたーあんだぎーです」とか言うのならば僕も中学校の頃使ってたアルト麻酔銃を使用せざるを得ないが、きちんと「ありがとうございました」「いらっしゃいませ」これを言えるぐらいの教育は受けていたし、無口なだけでは人畜無害。

しかしながらつい最近入ったバイト達のレベルの低さといったら中盤で無理やり仲間になるNPCを軽く凌駕する。まずもって「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」これを言わないし、いつ行ってもレジカウンターあるいはその後ろの台によりかかってぼーっとしている。ああ。良いさ別に良い。きっと「いらっしゃいませ」を一言でも言えば泡になって消えてしまう契約を魔女と結んでいるんだろう、そうなれば王子様との婚約も台無しになってしまうし何のために美しい歌声を犠牲にしてまで陸上で生きる足を手に入れたかわからなくなる。台によりかかってミリ動だにしないのも、オーケー別にオーケーさ。そうでもしてないと壁が迫ってきてお客様が圧死してしまうんだろう。お釣りを投げるようによこすのも、うん、甲子園目指してるんだろ? 頑張れよ。何、いいってことよ、僕はそんな検品に夢中でレジに誰もいない状態だから「すいません」って声かけたのに舌打ちしかも走らないでだらだら歩いてレジに戻る君を、ずっと見てるよ。この夏で引退、なんだろ?

え? いやいや遠慮しなくていいって、引退しろよ。

2006年08月29日 15:20


■セーラープルートの立場

学生証を取りに行った。

一度目は学生課の空いていない時間に、二度目は盆休みに、と、どんなM女だろうとふと故郷の味噌汁が呑みたくなるほどの仕打ちを受け、さすがに三度目も裏切られた日には学校に火をつけその燃え上がる炎にシャトルの尻をちょこっとつけて点火したらすかさず放り投げる遊びをして木星にしこたま叱られたい。硫酸の雲に引火したじゃないか! とか、アフロになった木星が黒い煙を吐きながら叱って欲しい。

いけない。また話がズレた。これは本当によくない癖だと思う。話がズレるとこのように話を戻すのにまた字数をかけなければいけないし、せっかくの理路も雑然としてしまう。そうしている内に僕の文章はどんどんどんどん長くなっていき、次第には本当に何を言いたいのかさっぱりわからなくなってしまう。自分というものを見失ってしまう。その「見失ってしまった」という現実こそが自分そのものであるのにも関わらず自己主張を誰かに委託して「あゆの歌詞はあたしの体験そのもの!」よくそんなことが「あゆがあたしのこと全部歌ってくれる!」言えたもので「あゆが大便してくれる!」うるせーよ馬鹿うんこぐらい自分でしやがれ。

ただでさえ暑さに心温の上がっている中、上述したようなヒューマノイドに出くわすとそれだけで怒り沸騰ヘルヶ峰、こちとらイライラに省エネ機能なんかついてやしない上に室外機も置いてませんので怒りが内部で対流対流また対流。トドメは「学生証はすぐ発行できないんで、今日この紛失届け書いたら三日後また取りに来てください」噴き出した僕のマグマは学校全体に飛び火し、ちょうど上を通過したシャトルに引火して重力半径を脱出。目指すは遥かなるジュピター。

それでは聴いてください。(アフロの)平原綾香で(黒い煙を吐きながら)「Jupiter」。

2006年08月28日 23:18


■キャット不動

今日は送別会。

友人が何でもどこかに留学しに行くと、そして今日がその友人と会える最後の日だということで送別会を開くことになった。さて、送別会は全く結構なことではあるのだけれども僕はその友人がどこに留学に行くのかよくわからない。確かヨーロッパだった気がする。しかしヨーロッパに留学しに行くってのは余りにアバウトだ。誰だって電車内で「次は~西~」と言われたらちょっと困るだろう、関東ディズニーランドでは群馬がボロ儲けだし、九州駿監督作品などと言われた日には最早何がなんだかわからない。アバウトさは罪だ。

確かイギリスかフランスだったか、この二つは間違いないのだけれども英語とフランス語でかなりの差がある。どちらかといえば日常会話で「テレビ」や「ビデオ」といった英語を喋る頻度の多い彼だったので、じゃあイギリスかなとも思うのだけれどもその中で「テレビデオ」などといった不可解な言語を発話することもあり、これがフランス語で無いという保証もまた無い。ふむ。参った。何とかして彼がどこに留学するかを調べたいがフランス語の知識も英語の知識もない僕にはさりげなく沸騰しそうなお湯を見て「あ、これ今何ジュール?」「ボンジュールだよ」といったウィットだだ漏れの会話も出来そうに無い。こうなればジョークだ。ジョークは意外と国民性をよくあらわしていることが多い。出会い頭に「ド・ゴール!」と言いながらマットレスを高野豆腐に差し替えて笑ったならフランスで笑わなかったらアメリカ、怒ったら日本人だ。

2006年08月26日 17:58


■二人gotta be

彼女の話。

彼女の話をしようと思う。しかしながら彼女の話なんてことをこういった不特定ピープルが視姦する場所にて垂れ流すことが如何に傲慢であるか、ふむ、いささか配慮が足りなかったかもしれない。そもそも僕の彼女の話なんか興味はないんじゃないだろうか、いや、それはちゃんと理解しているしTSUTAYA僕の彼女の話コーナーからも比較的皆が興味を持てるような話題をチョイス

や、わるかった。そのおちょぼ口は「そもそもお前の彼女なんかに興味ねーよ」の「そ」だな。そうだ、その通りです。申し訳ない。何というか、暑さという妖精が僕の動脈に打ったひと夏のイタズラだと思ってもらえれば痛いっ! ごめんなさいごめんなさい! 妖精さんのことを悪く言うつもりはないんです、あっ、痛っ! すいませんすいません、そのフェアリーテイルを眼球に刺すのだけはご勘弁ください。えーと、妖精さんの下りは嘘、です。はい。えと、なんか、僕個人の話で、妙にこう、テンション上がっちゃったっていうか、そうですよね。はい。わかります。はい。意味無いですよね。はい。すいませんでした。もう彼女の話は二度としません。

2006年08月26日 11:41


■浮気なダーリン

暑さ。

暑さ暑さに辟易する毎日を如何にしてスルーしていくか、そしてそのスルーされた人生を如何に上手く回転させて奈落インワンさせるか、こればかりを思考するも錯誤ばかりなのが人間である。エアコン、というのは人類の出した一つの結論ではあるのだけれども中々その電気代がスイッチを押す手を鈍らせる。核兵器のスイッチとエアコンのスイッチは、等量の重さを持つと言って過言ではない。

そもそも核兵器はスイッチなんてもので始動するかが甚だ疑問だ。核兵器ぐらい大事なものがスイッチ程度で発射されては、今頃うっかりノドンで針葉樹林ができている。いざ「押していいよ」と言われた場合にも問題はある。手が震えて連打した場合はそれこそ同じ場所に玉突き着弾、ワーオこれがホントのロケット鉛筆だね! なんてことを敵国の兵士たちが熱波で蒸発しながら言い放てば例え戦争に勝っても面白さでは負ける。その他にも別れた女が腹いせに押したり母親の掃除機でついついあるいは祖母が跨ごうとしてあららなんてことも起こりかねない。そう考えると核兵器のスイッチなんてものの存在が疑わしくなる。

どうしてもスイッチにしたいということならラジャー、上官の命令には従うだろう。しかしながらそのスイッチの回りには常に数人の兵士がスイッチを円陣で囲み、何人たりともスイッチに触らせぬよう警戒し続けなければいけない。否。人だけではない、いつ悪意を持った分銅がスイッチめがけて落下するとも限らない。兵士たちは球状に意識を張り巡らせいかなる物体もスイッチに接近しないように、不眠不休での警護にあたる。彼らが解放されるとき、それは核兵器が使用されるときだ。彼らが何を考え、そして何を期待しているか、それは読者の想像に任せたい。

あ、今エッチなこと考えたでしょ、もー!!

2006年08月22日 17:36


■元気はあるけど、行かない。

俺、自動車教習所のこと、どうしても友達としか見れない。

さて、衝撃の告白も済んだところで本題に入りたいと思う。とりあえず以前僕が「自動車教習所のことが少し気になる」ぐらいのことは日記で書いたかと記憶しているが、実のところそこから全く何も進展がない。いや、何も進展がないなんていうと語弊がある凄い語弊がある。キスはしたけどセックスがまだという状態で「いや、俺まだ彼女と何でもなくてさ」などと言っては銀河一揆がそいつの股間めがけてベン・ハーだろう。そういう意味ではキスはした。教習所とキスまではいった。

ただしキス止まりである。金額にして三十万の高に全く見合わない風俗だ、入所式に行ったっきり全く顔も出していない。というかあの色気も糞もない入所式がまずどうかと思う。もっとこう、初めてで緊張している僕らを教官たちがミッキーやミニーに扮して車で送迎、魔法のステッキを一振りすると車に生命が与えられガルウィングでばっさばっさと大空へ。僕らを見上げる街の人たち、僕らに手を振る異国の人たち、そうして教官がもう一度ステッキを振ると車が急に消えた! まっさかさまに落下していく僕ら! どうしよう! こんなところ来るんじゃなかったと思いきや大きなマシュマロがぽよよーん、助かったー! あれ? ここは、お釈迦様の仏乳じゃないか! よしみんな、ここで最初の教習だよ? このステッキで好きな車の絵を描くんだ! 乳房にステッキで車を描くと、あれ、あれれ? 本物の車が現れた! よおーし乳房のぶつぶつをパイロンに見立ててスラロームの練習だ~むにゃむにゃ…

「こらっ! 三村! 何寝ぼけてるんだ!」
「えっあれっ、ボイン観音は」
「お、さてはお前、エイチな夢見てたな?」
「わー!」
「あはははは! あはははは!」
「こらどこ行く! 入所式はこれからだぞ!」

とかそういうのやれよ! 出来るだろ! いや出来るけど!

2006年08月17日 20:02


■真剣十代漂流記

着ている衣服の数と性欲は反比例する。

これは「うんこって苦い」に代表される「誰も確かめたりはしないけどなんとなくそうだと理解している事柄」に当てはまるもので、「夏の女は大胆」とか「裸の女は大抵オサセ」といった慣用句にも反映されている。そもそもあれだけ膨大な旧皮質の表層にぺんのり張り付いた新皮質が理性を司っているという現実そのものが図らずも以上の証左となってしまっている。

知恵の実を食したそのときから、イチジクの葉を身につけたそのものから、衣服は理性の象徴であり権現なのだ。シャツにはシャツの理性があり、フリースにはフリースの理性がある。ワインを造るためにぶどうを踏む女も、なまじ衣服を着ていれば飛び散るぶどうの汁や靖国参拝の是非が気になったりするだろうがこれが素っ裸ならどうだろう。最早そこに理性の入り込む余地はなく延々とぶどうを踏むことができる、いや、何なら少しねじりを加えたりも出来るかもしれない。衣服の消滅によって、ぶどう踏み本能が露呈するのだ。

僕はこの事柄を自らを実験台にして証明した。簡単なことだが。いわゆるパンツ一丁ですごしてたらオナニーの回数が凄い増えた理論に基づくパンツ一丁にて一週間ほど過ごしたらオナニーの回数が凄い増えた機構を実践することで、果たしてパンツ一丁で過ごすとオナニーの回数が増えるのかどうかを観察する実験法だ。これによって、パンツ一丁だとオナニーの回数は凄い増えることがわかった。

人の理性などというものの儚さを証明してしまうような実験結果だが、悲観することはない。人が祝福することで技術は叡智になる。そう、例えば、好きな子とせっかく二人きりなったのに何も言えなくなってしまう、そんなときは彼女にパンツ一丁になってもらおう。きっと、もっと、ずっと素直になれる。

2006年08月16日 18:01


■バスガスハムカツ

湯沸かし器の調子がおかしい。

この季節ともなると汗腺から汗以外のものも噴出さずにはいられないわけで、そのどろどろした液体を放っておくといずれは僕の形になり一人歩きしだすためこまめなシャワーは欠かせないのだが、ここんところずっと湯沸かし器の調子が優れない。

浴びている最中、急に冷水を噴出したかと思うと今度は中央区を六度蒸発させる勢いの熱湯を出す。明らかに湯沸かせてないのはまだしもとしてその後熱湯を浴びせるのはどういうアメと鞭だ。僕をコシのある太麺にでも仕上げたいのだろうか。夏だから冷水はまあ許せるとして、その後の帳尻合わせ湯は本当に勘弁していただきたい。この温度差はストレスに弱いウサギぐらいなら殺せるし、メロスならセリヌンティウスを諦めてセガワールドに行く。

しかし壊れるなら壊れるで警報が鳴るとか近くを飛んでた鳥が急に落ちるとかしてくれればいいものを、見た目には全く壊れた様子の無いことが腹立たしい。明らかにガス湯沸し器にガス湯沸す気が見られない。盆休みだからって本来の仕事を忘れてもらっては困る。常にというわけではないんだから、シャワーを浴びているときぐらいもっとガス湯沸かす気を出してくれ

「ガス、あんた、湯沸す気……?」
「ああ」
「……ガス、あんたの体はもう湯沸せる状態じゃないんだよ! それ以上やったらもう二度と」
「パロマ、俺気づいたんだ。俺の居場所ってやつに」
「居場所なんて、そんなもん、そんなもんのために、あんた!」
「まあ見てろって、俺は湯沸かし器だぜ? 俺に沸かせない湯なんて……!」
「ガス! やめなよ! ガスぅう!」
「は……はは、どうだい、見事な湯だろう、な、パロマ……」
「馬鹿! ガス、あんたホントに大馬鹿だよ……ガス? ちょっと……ガス!」

冷たっ。

2006年08月13日 10:37


■スパスパ

お夏ってことで、世界には露出度の高い衣装に身をくるんだ女性たちが増加しているわけだけども、あれは義務でも何でもないはず。それなのに明らかな修行不足の体に、服が相対的に見て全部Sサイズになるような着こなしを嗜んでる近接戦闘用ユニットたちは、一体何を目的とした軍勢なんだろうか。

そういえば最近、消費税65%まで我慢できる女性でもブスとかデブとかいう観点からいじると怒る、という話を聞いた。女の子を外見で笑いものにするなんて最低、ということらしい。まあブスはガイアが冒険した結果だから、進化の可能性を見出しはすれ馬鹿にはしちゃいけないってことは理解できる、でもデブはどうだろう。

基本的に、何らかの病気で無い限りデブは自業自得のはず。「だってあたし痩せにくい体だもん」だとか「美味しいものを何で食べちゃダメなの」などまあ様々な理由をつけてその肉を装備し続ける女性を何度見たことか。後者はむしろデブであるということに観音開き直っちゃってるから、そんな開けっ放しのハートに何を投げ込んだところで波紋一つ立ちはしない。しかし前者は「にくい」ってだけで「痩せることができない」わけではないはず、あんまり痩せると背中に彫った設計図のタトゥーがしわしわになって読みにくいのは理解できるけど今のままでも肌が張りすぎて充分読みにくいし背中のそばかすがまるで句読点。

しかしこの日記がそういったデブっていうかちょっぴり太めの徳用パックの皆さんによって成立していることもまた事実、そう考えればあながち無利益ということでは全然無いのだ。「あたしなんてデブだし……」と自信を喪失しかけてる女性たちは是非この日記を見て元気を出してもらいたい。

2006年08月11日 00:26


■本居・クルー

前回までのあらすじ「財布を失くした」

さて、財布なんてものは失くした後の面倒さに比類がない。まずもって各種カードの使用を停止、そして再発行の手続き、さらに警察に赴いてはいかに今財布が無いかを五・七・五で表現。そして待ち受けているのはキャッシュカードが再発行されるまでの赤貧生活である。森羅の万象でこれほどまでに達成した後の方が面倒な事象などこれと天下統一ぐらいだろう。

そういう意味で僕は今信長なわけだけども、いくらホトトギスがわめこうが羽を剥き七輪でカリカリに仕立て上げる決断力があるし経済力が無い。あーこりゃ光秀も謀反起こすわ、といった体でとりあえず空腹を紛らわせるため禅を組み印を結んで色を閉じ空を開いて何とか酸素をバーベキュー味にしようと試みるも、いかんせん功夫が足りないせいで少し鼻くその匂いが明瞭になるばかり。

そんなことをしてても腹は膨れないのでせめて安心でもかっこもうと、財布紛失後、見つかった例がいくつあるかとグーグル様にお伺いを立ててみるとそれがまた意外とある。なるほど、届けを出した次の日に見つかることが多いということらしい、しかも中にはお金がそのまま残った状態で見つかることもあるという。何と、世の中は僕が考えている以上に親切だった、これならむしろ財布が砂金まみれで見つかったり財布を失くしたお陰でHDDが2GB増えました! なんて副作用もあるかもしれないぞ。なんかワクワクしてきた、財布失くしてよかったー。

2006年08月09日 13:46


■森口博彦

財布を失くした。

余りにも一瞬の出来事に世界がそこだけスクラップされたかのような錯覚を覚える。財布なんてものは肌身離さず持っているものでありこれを失くすイコールそいつの名を冠したワインが造られるほどマヌケ、というのは毎年のサミットでの結論だが全く、僕は今日まさにそのマヌケを体験した。

普段はバッグに入れているため、太陽ががんばっても北風ががんばっても財布が外に零れ落ちるなんてことはありえるはずのないこの状況下で、ともかくも財布は何らかの力が働いて落下した。いや、落下したという固定観念がそもそも間違っているのではないか? 異性人が牛のサンプルを採取するのはキャトルミューティレーションとして知られている事実だが、もうロースもタンもキャトり飽きたはず。ならば次に狙うのは何だろうか?

人間の文化は貨幣文化に基礎られているといって過言ではない。文化の礎たる貨幣に異性人が興味を持つのも無理はないのだ。不幸にも地球侵略の片棒に弁当をぶらさげて上京し、それを地元の天才中学生に大罵倒されさらに母親をも馬鹿にされたから文太は怒った。棒をがんがん振り回し「謝れ! 謝れええ!」と叫ぶ文太のワイルドさに惚れたクラス一のマドンナは、淡い想いを込めたキャデラックを文太にぶつけ、その日から文太の棒の先には弁当、そしてもう片方にはマドンナがうっとりぶら下がっておったそうな、と、とりあえず自分のマヌケ話を一刀猥断にしてみたところで僕の自虐シアンはハイスコアを記録したままバグ止まり、ハハハ、田舎物は金の次にプライドも失くすんだな「何だっとぉ!?」

文太は止められない。

2006年08月09日 00:07


■内股ペンチくん

少し人生を注意深く見つめているとわかることだけれども、自動販売機って使いにくい。

あれだけの数設置されており、あれだけ長い間皆様になじんでいるもの。同じコカコーラの自販機でも所によっては値段が微妙に違ったりといった差別化にも成功しており、各々がお気に入りの自販機というものがあるはずである。フェイバリット以外でジュースを買うのは一つ浮気しているようにも感じられ、うぶなヤングたちがスナック感覚で背徳感を楽しむスポットとしても人気である。

しかしながらあの取り出し口の使いにくさは何だ。まるで平成とは思えないユーザビリティ。まずもって塹壕にでもいないと目の高さにいかない位置、そしてあの狭さ。ジュース一つがギリギリ取り出せるスペースしか空いていないため、手をつっこんで缶を掴むと取り出すことができなくなるどころか自販機の前から身動き一つ取れなくなる。ジュースはどうしても飲みたい、しかし汽笛の音はどんどん近づいてくる。もはや宿命とも言うべきジュースと命の両天秤、自販機の数だけ悲劇が産まれるのだ。

このジュース大国日本、僕の名前は甘味料! オイラの名前は酸味料! 二人合わせてボイラーだ、僕とオイラでボイラーだ! このスローガンは何だったんだろう。以前までは「まだ技術が進歩していないから、取り出し口が使いにくいのだな」と納得させてきたがもはやその言い訳は通用しない、マイクロソフトが威信をかけて全国の自販機にインテルをねじ込むべきなのだ。やれ上手投げだ、やれ小手投げだ、そんなことに気をとられて我々は一番大事なことを忘れてしまっているのではないだろうか。

現実に甘んじるのもいい。しかしたまにはあのジュース大国だった日本を、思い出してほしいと思う。

2006年08月08日 02:13


■帯に短しタイミング悪し

少し太ってきた。

生活サイクルを健常な方向へ漕ぐことは苦手なくせに、アイスを食うだとか寝るとかそういう堕落に沿ったサイクルは地球の自転の方が早まる速度で漕ぐことができるというのは全くの大ボラである。僕が本気で自転車を漕いでもちょっと浮いたのちプロペラの原理で横に進むだけなので、地球の自転が少しでも早まったら脚立が安定しなくなるから困るといった紳士は安心してもよい。

とにかくこの生活サイクルを改善し、やせなければいけない。こういう話をすると決まって「お前は太っていない。お前が太っているというのなら、なぜこの世から戦争がなくならない」といった昔の話まで掘り出され後の処理が大変になるから酷く面倒、そもそもだ、そもそも。俺はそもそもだ。

贅肉を見るにつけ人間ていうものは何と不完全な生き物かと、実感せざるを得ない。最近ではとうもろこしでも皮を剥く能力があるのに、人間はいつまで経っても脱皮を覚えない。脱皮のすばらしさはもう理系のクラスにまで伝わっているはず、太ってきたなと思ったらくるぶしを爪で引っかいて切れ目をつけ、そこから贅肉を脱いで変わりにブルゾンを着ればいいのだ。

なるほど、君がしているのは「そんなことになったら皮が残りゴミが増える」という意味のスキップだな。それは違う、脱皮後の皮は人のプライバシーがソロで活動しているようなもので、誰もそんなものを人の目に届くところに放置したりしない。でも、そうなれば体育の時間にクラスのマドンナの皮が盗まれるという事件が起こり、それだけに止まらず片思いのあの娘の皮を着るといった卑劣きわまりない外道が現れ、そうなったら最早実の親でも区別がつかないだろう、なるほどそれはそういう意味の侵略行為だな。安心したまえ、ブルゾンを着ている方が娘さんだよ。

2006年08月06日 21:39


■むししし

実を言うと前回「免許とじっちゃんの仇をとる!」といって村を飛び出したっきりずっと家でテトリスをしてたため未だに教習所なんか行ってない。

このままでいくとまた就職活動の二の舞「やるやる今度やる」の口だけコットン大法螺ひと拭き、そうして忘れたつもりの現実がたまに虚構の海から目だけ出して僕をじっとり見つめるのだ。これではいかん。いや、僕は何度もこの言葉を使っている。これではいかんという言葉をジャムにできるほど使ってきた。だが! これではいかんと言って! 本当にいかんことになった試しが無いのだ!

つまりこの時点で僕は欺瞞の沼とお友達から始めちゃってるわけだ。そんなことに今更気づくとは全く今までどこをほっつき歩いていたんだい! もうおてんと様だって床についてる時間だよ! ああ? 何だって? 珍しい鳥がいたから、おいかけてたら? 森の中に大きな木があって? あんた、まさかその木のうろに入ったんじゃないだろうね。何だって。あんた、そこを動くんじゃないよ。一歩もだ。平八! 長老様をよんどくれ! 憑き払いの婆さんもだ! 早く!

「どうです、長老。時間はそんなにたってませんが、なにぶん若いもので」
「うむ、今はまだ、しかし、潜んどる」
「え! じゃあ……」
「うむ、このままでは、いかん」

2006年08月02日 20:59


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